かつて、川は交通の要でした。日本海の港と内陸を、荷物を積んで最上川を行き来する船には、ひらた船と小鵜飼舟がありました。
船頭さんたちは、風を読んで帆を上げ、流れに乗って進んだそうです。
特に多く利用されたのが、小鵜飼舟です。江戸時代には左沢より上流でしか使用できなかったそうですが、船頭二人で、たくさんの米や紅花(紅餅)、青苧などの荷を運んでいました。

置賜の「最上川229ネットワーク」では、今年度白鷹町立蚕桑小学校で、舟運文化に関する学習活動を企画し、実際の小鵜飼舟を再現しようと小学生も参加して舟造りを行ってきました。

この小鵜飼舟は、白鷹町の羽黒神社周辺の木で造られており、先日は、櫂や積み荷の米俵、鰊箱などをみんなで造りました。